カザフの英雄誕生までの道のり~デニス・テンに歴史あり③
2010年、ロシアからアメリカへ拠点変更したデニス・テンくん。
住むところも決まらないままお母さんと移住し、練習に通うのも大変だったとか。
そんな環境の変化と成長期が重なり、思うように結果が出せない時期が続きました。
NHK杯では最下位、スケートアメリカではフリーで5回転倒し11位。
コーチ・拠点変更にともない、振付師もこれまでのタチアナ・タラソワから変更。2010-2011年シーズンのSPはステファン・ランビエール初の振付作品。FPはローリー・ニコル。以後、競技プロは2015-2016年シーズンまでローリー・ニコル振付が続きます。
【2010年NHK杯 SP「ブエノスアイレスの春」】
(急に大人になったテンくんとちょっと若いキャロルコーチ。)
なかなか結果が出ない時期でしたが、2011年カザフスタンで行われた冬季アジア大会では地元観客の大声援を受け優勝。フィギュアスケートが盛んではない国なのに、観客も多く盛り上がっているのが動画でもわかります。
【2011年冬季アジア大会 FP「死の舞踏」(リスト作曲)】
地元の大会で優勝したことで、知名度もUP。女性ファンも一気に増えたとか。
英雄に一歩近づいたテンくんでした。
(↓金メダルを大統領にお見せするテンくん。)